フェイスブックを久しぶりに開いてみると小学生の時からの友人と映る5,6年生の時の担任の先生O先生。今では同小学校の副校長をやっていらっしゃるそうだ。時の流れを感じるとともに、当時としては珍しく生徒一人一人の個性を伸ばすような授業が多かったように思える。それは僕の通っていた小学校がゆとり発祥だったこともある。
懐かしく覚えているのが詩のボクシング
小グループに分かれて、図書館などから探してきた詩を各々の表現方法で発表するというもので、2グループが発表したものを残りの生徒がジャッジするのだ。
詩の朗読会ってものはほかにもいろいろ行われているだろうが、闘わせるとなると子供心に火が付いたように思える。
対話形式に発表するものや、強弱をつけて発表するもの
みんな違ってみんないいわけである。
ぼくが発表したものでよく覚えているのが
ありという詩である。すべては覚えていないし、ネットで検索してみても覚えていないから全文は公開できないが一部を書き起こしてみることにする。
ありありくるよ たくさん たくさん
ありありおてて たくさん たくさん
蟻の大群が押し寄せてくるイメージを想像させてくれる。この押し寄せてくるイメージをぼくたちはどう表現したかというと、カエルの歌の復唱風に朗読したわけです。ひと段落ずつずらして5人がどんどん話し始める。みんなにも高評価だったように思えます。
O先生に教わったこと
小学生の時には楽しい授業の連続という思いしかなかったが、今では別のことを考えています。
桃太郎理論を教えてくれた。
ぼくなりの持論ではあるがこの先の人生に役に立ってくる理論であると思う。
桃太郎理論とは文字通り桃太郎の話になぞらえているわけだが、おじいさんとおばあさんは川の上流から流れてきた大きな桃を拾ったんだ。好奇心からくるものかもしれないし、お腹が空いていたからかもしれない。
一つ言えるのは桃をひろってなかったらこの桃太郎は別の場所で生涯を過ごしていたということだ。
これを現代版に考えて直してみると、情報があふれている社会にどの情報を拾いあげてもいいのだが拾いあげて自分なりにアウトプットしなおす必要がある。情報のない時代には情報を得るだけでも一歩リードいているわけだが。今は行動する必要がある。
詩のボクシングでも詩を図書館から選び出して、自分たちの表現方法に落とし込める。
そして拾いあげるときに大切なのが自分がはまりそうなものを探す。拾った瞬間にくさいからと言ってまずいとも限らない。シンガポールの屋台で食べたドリアンなんて臭いだけいったら最悪でした。実を切ってみないとわからないわけですよ。
次に必要になってくる理論はゴルフ理論だと思うわけです。
ゴルフって一見めっちゃめんどくさそうだし、お金はめっちゃかかるしで、なんでやるのって思うよね。
でもあんな大金払う人間が、何百年もの間結構な人数いたわけ。
やってみるとわかりますが、あのスポーツは相当頭を使います。筋肉の動きから、どこに進めていこうか、風の動きはどうかなど。(ぼくは股関節緩くてやめました)
ダイビングを大学時代に結構やったのですが、ダイビングってレジャーとして楽しそうってのが先行すると思うんですが、突き詰めていくと、残すは潜るポイントとお目当ての生物に出会えるかどうかなんですよね。自分の力で切り開いていく要素に欠ける点が、100本ぐらい潜ってから気づかされました。もちろんみんなでダイビングに行くのは好きですよ。
やってみて深く深く考察出来るものがこの先は需要が高まってくるんだと思います。ユーチューブなんか見ていても、人気あるのは投資とワンピースとメイク。みんな考察が必要になってくる分野だよね。
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