先日ようやくフィフティシェイズオブフリードを観ました。大学1年の時に読んだフィフティシェイズオブグレイがどハマりしてそれ以来読んでます。解剖班の女子にも話したら性癖を疑われることに。世の人妻達を魅了し続けたこのシリーズも終わりますが、ぼくと彼女にも結構影響を与えてくれました。
フリードの感想は思考フリーズ
80%くらいセックスと惚気の映画でした。
誘拐と妊娠かという大問題が2つも残されているのに残り20分。コレは回収しきれないなとフリーズ。
赤い部屋はこの映画ではとても印象的な場面ですが、今回はふて寝と亭主関白の崩壊としてしか使われてません。
●グレイに対して
1話に比べ、劣化が激しい。幸せのせいか、顔面は崩壊し、アナの尻に完全に敷かれてる。サブミッシブとか高尚なSMは何処へやら?
●アナに対して
シリーズが進むに連れてアナ役のダコタジョンソンがどんどんキレイに。グレイと反比例。しかし、話としてはアナは最悪。CEOの嫁としての自覚が乏しくワガママし放題。喝です。フェミニズムの映画だとしたら悪影響。
ぼくと彼女のエロティシズムに影響を与えた
🔽不倫ブームの火付け役 フィフティシェイズ シリーズが帰ってくる – 三大欲求わすれてない?
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グレイとアナの関係性は少し僕らカップルにも似てる部分があり共感を得られる。
●グレイの変化
かなりの捻くれ者→柔和、アナに完全に尻に敷かれてる
●アナの変化
少しイモ→年々美しく
というように、僕らとも通じると思われる部分があり、共に成長していった気分です。元々は谷崎潤一郎のエロティシズムに多大な影響を受けてる僕だが、また、違う影響を受けた。フィフティシェイズオブシリーズでは、多様なエロティシズムがある事をしり、それは人それぞれ違うことを知った。性春の思い出だ。そして、受け入れる努力をする事が男女の仲を継続する事に繋がる。
こういった具合にシリーズ通して恋愛の勉強になりそうな映画でした。
彼女と春画を見た
彼女が20歳になる頃に春画展に行きました。昔から人の求めるものは変わらない。性は本来喜びであり、誰かの欲求を満たすために誰かが傷ついたり消費されてはならない。知的に愛をもって接することが大切なんです。
葛飾北斎の《海女と蛸》の図だって最初見たときは衝撃的でした。こんなエロアニメでしか見たことない。江戸から発想があったとは。いまだにぼくらの感情に響くものがあるのは、自分の人生で得た経験や価値観とリンクするものがあるからではなかろうか。
「相手を大切にしよう」や「性と笑いは密接であり、どちらもぼくたちの喜びなんだ」、「誰にでも性欲があるんだ」など、春画を見て感じること。それは人により様々だと思うが、これらは頭の中で言葉として理解するのではなく、身体が反応し感情として湧き上がってくる。
3,4年前に春画に出会った事も性をタブー視せず楽しめる要因の1つなのだろう。
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