こんにちは。なかじです。
研修医2年となり1年目も入ってきて、考えるのは学ぶ姿勢です。昭和的な学ぶ姿勢のことをいってるわけではなく、あくまで、自分の興味があることに関してです。今回も質問箱に即してブログ更新したいと思います。
研修医2年目でようやく掴めてきた事、それは、「とにかく“みろ“」「“みて“覚えろ」ということ。カルテを書いていた時に思ったのか「みる」って漢字が大量にあるって事です。
見る→数秒レベル
観る→数十分以上
診る→仕事で一見コレ
視る
看る
それぞれの「みる」の意味合いは微妙に異なります。じゃあ、何をどのようにみればいいのか?ぼくは悩みました。
「みる」といっても、その様子をただ漠然と、表面的に眺めているのは、「みる」とは言わない。自分にない感覚、感性、技術を取り入れていくのであれば、まずは「みる」ことの次元を上げなければならない。以前書いた記事にもそゆうことを言及してて、目より手が肥える事はないって事がみることの難しさに込められているのかも知れません。
「みる」ことで、プロの感覚をうつす。先人の知恵をインストールする。
麻酔科研修の時に心臓血管麻酔で有名な先生の麻酔を見る機会がありました。その先生はよくプロフェッショナルとはこうだと言うことをおっしゃるのですけど、研修の時も心臓血管麻酔のオペでは見るだけで良いとよく言ってました。昔の料理人は、手取り足取り料理を教えてくれるなんてことはなかったから、必死に洗い場をこなしながら、先輩たちが料理を仕上げていく様子を、「絶対に見逃すまい」と、横目で「みて」全てを覚えてた。これを、本当の意味での「見習い」といえます。
たとえ毎日接する身近な人も、表面的に“眺める“ことしかしていなければ、その人の本質は決して理解できない。その人が何を感じて、どんなことを考えて、どんな思いで日々生きているのか。それは、深く「みて」いれば、言葉を交わさずとも、その些細な変化に気づくことができるんだと。snsだと画面越しの交流が多くなってしまうので、相手をみることを怠ってしまいがち。その関係性がラクに繋がるんだけど、関係性を深くするのがヘタになってしまいます。
恋人との長続きの秘訣みたいなものを質問箱でよくいただくんですけど、もっと恋人のことをよく見ると深い関係になれるんじゃないかと僕は思います。
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