炎炎ノ消防隊の主題歌でもあるMrs. GREEN APPLEの『インフェルノ』を2022年はよく聞きました。テンションが上がるので一日の始まりにぴったりでした。僕の中での神曲はインフェルノですがインフェルノと聞くとダンテの神曲をイメージしますよね。3部構成(地獄、煉獄、天国)を33のストーリーで書いている3にこだわった作品ですので僕は好きです。
2022年はサウナが流行ってましたね。僕は温泉は好きですが、暑がりなんで長くはいってられないんです。温泉地にいっても、当直明けのスーパー銭湯でもものの数分でサイドに置いてあるベンチで涼んでましまいます。整形外科医の同期なんかもサウナ好きは多いようでととのう領域に達しているんですが僕はサウナに全然立ち入ることはできなかった。そもそも温泉とかって温泉に浸かる時間でもベンチに座っている時間でもそうだが、時間を忘れてぼおっとするのが醍醐味だ。だから温泉に行くとじじばばが多い。あの人達は暇だから温泉や銭湯に来ているのだ。しかしサウナにはタイマーなんかおいてあって、時間を忘れさせてくれない。僕の非日常の考え方とは相反するのだ。
照らすは闇 僕らは歩き慣れてきた日々も淘汰
夢は安泰な暮らしだが 刺激不足故にタラタラ
大阪で学会発表があったので、独りで宿泊する機会はなかなかないのでカプセルホテルに宿泊しました。結構銭湯・サウナとしても有名なスポットであり、サ道界隈ではここは行くべきサウナに入っていた。そんなこともあり、刺激不足の毎日であったのでサウナの入り方を一応頭に入れておきためしてみることにした。暑いのは苦手なので熱せられた石からはできるだけ離れた位置に陣取った。例のタイマーはもちろんおいてあった。ワールドカップシーズンでもあったのでテレビでやっていたのでできるだけタイマーは見ないようにした。10分だけ我慢した。サ道上級者からしたら短いと思われるかもしれないがこれがギリギリのラインだ。生命維持のためにも外に出た。
照らすは熄み
僕らの歩き慣れていた道はどこだ
ときはたまに癪だが 温もりに包まれ只
お次は水風呂。意を決して体を沈めると、もちろん極寒の中で死を覚悟する訳だが、次第に別の感覚が内側から襲ってくる。サウナで蓄積した熱を体内にくっきりと感じるのだ。水風呂が冷たいので、相対的なものもあるのだろう。
永遠は無いんだと 無いんだと云フ
やがて水風呂を出て、体を拭いて、露天風呂の側にある椅子に座って休憩する。タイマーが置いてあってもいつかは時間が来るのだ。休んでいるとなんか気持ちいい。この温度の差を中和し調節する動きというか、内側からの「熱するパワー」と外側からの「冷やすパワー」がぶつかり合って混ざるような感覚が、非常に独特なのだ。近いのは、「夏の暑い日に外を歩き回ってからクーラーが効いた商業施設に入る」とか、ああいうの。しかしサウナの場合は、直前に体を洗っているので精神的にキレイなニュアンスがあるのと、股間にタオル一枚なので物理的な解放感があること。これらが混ざり合って、じわ~っと、ぐわ~っと、感覚の波が押し寄せてくる。
ところで何故 僕らは思考を急に辞めているんだ
夢は安泰な暮らしだが 知識不足故にハラハラ
なるほど。理解した。理解してしまった。サウナは暑いから嫌だと決めつけてしまっていたんだ。調べもしないで新しい境地に足を踏み入れないのはもったいないことであるのだ。ではサウナは何故こうもブームになり人を魅了してしまったのか?ダンテの神曲になぞらえて解釈していこうと思う。
地獄篇
医師から言わせればサウナは危ない。死と生還の疑似体験。自殺をするためにビルの屋上から身を投げるときに、カラダは痛みを和らげるための様々なホルモンを出して気持ちよくさせるそうだ。サウナは、脱水症状にもっていき、とってもお手軽に死にかけることができ、すっごく気軽に生き返ることができる。この疑似体験が、どうにも中毒になるのだ。体を安心させるためにわざわざ危険に晒す。自分でも馬鹿なことをやっていると感じる時がある。そりゃあ、体に負担がかかっているとしか思えない。しかし、この死にかけ体験、妙にクセになるのだ。
煉獄篇
サウナで座っている時の虚無の時間。やることがない無の数分間。これはある種、映画館に似ていると私は感じている。要は、「わざわざお金を払って」「それしかやってはいけない空間に」「自分を限定する」訳だ。だから、どうしたって映画に集中する。それしかやることが無いからだ。サウナも同様で、ただ黙々と瞑想する他にやることがない。情報中毒で、常に文字か言語か音をまとって生きている自分のような人間は、サウナにでも入らないと虚無になれない。「いや、スマホを手放せよ」と思われるかもしれないが、それができないから中毒なのだ。私はサウナに、スマホを手放しに行っているようなものだ。やることがないので、思考だけがオートで巡っていく。明日やる仕事のことをぼんやり考えたり、昨日読んだ本の感想をぐるぐるさせたりする。それが次第に、熱でうなされたように抽象化していく。腕を見ると、玉汗がいい感じに浮いている。これ。この瞬間がたまらない。「温泉が暇」がこういう形で反転するとは。
天獄篇
サウナに入ることでもたらされる効果はととのうだ。僕が病棟でよく処方する整腸剤の整うではないのだ。ひらがなで表されたととのうは感覚のまどろみを経て、最終的にリフレッシュしてシャキっとした気持ちになる。要はこの「気持ち」の話で、それ以上でもそれ以下でもない。つまりプラシーボ効果の類とも言える。
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