専攻医1年目は知見を広げるというためなのか、 専門医試験のためにような単位を取得する目的なのかいろいろな病院を回る事が課せられています。 整形外科では半年間 大学病院を回る必要があります。なので今年度残りの2カ月間は大学病院で働くことになります。ですので僕らの1学年上の先輩方は間の学年であったために大学病院を4ヶ月しか回っておらず残りの2ヶ月後どこかのタイミングで 回らないと専門医試験を受けられないと言う状況になっています。
大学病院に戻ってきて心理的安全性について少し考える事が多かったので記事に記事に思いました。
○https://tech.timee.co.jp/entry/2023/02/02/105555
そもそも心理的安全性とは何でしょうかね。最近心理的安全性についてTwitterとかでその言葉を目にする機会は増えてきました。ですが人それぞれにコンセンサスのとれた心理的安全性がないような感じがします。これから書きますのは僕の思い描く心理的安全性についてです。
まぁ似たような言葉としてコミニケーションと言う言葉がありますがまぁちょっと違うような気がするのであまりコミニケーションと言う言葉を使わないようにしようかなと思います。
なんで心理的安全性について考えようかな と思ったのは病棟間で看護師さん達の雰囲気と言うものが全然違うなというのがありました。雰囲気が良い病棟もあれば逆も然りです。そして天気が悪い病棟の仕事ぶりはそんなに良いものではないかなぁと感じてしまいました。
多分お局と言われる存在がトップダウンで雰囲気を壊しており下の人たちが疑問に思ったことを素直に聞けないと言う状況がそうさせてしまっているんじゃないでしょうか。何を言ったとしても無視されたり責められたりしない状態を心理的安全性と僕は思っているので ここの病棟は心理的安全性を担保されていないんじゃないかと思ったことがきっかけでした。何を言ったとしても無視されたり責めたりしないそんな状況が成立するのが心理的安全性です。心理的安全性が担保されていないと羽が萎縮してしまったり思ったことを言えないといった雰囲気になってしまいます。その場合よりつよいもの(お局のような存在)の発言力が強くなってしまって他の人が発言できなくなってしまいます。心理的安全性を作ろうとしても作るのは難しいでしょう。上の立場の人が雰囲気作りをしようとしても下の人間が過度に壁を作ってしまうとその状況は作りづらいです。僕も人に対して壁を熱く作ってしまいがちなので日常で暮らしている中で心理的安全性を感じる事は特に少ないです。
○研修同期と栃木に旅行に行きました。コミュ症を再定義したい。
ぼくが唯一心理的安全性を感じているのは、カノジョに対してでしょう。何を話してもいいと思えますし、隠し立てをする必要がない存在です。先日もボールペンをポケットに入れっぱにしたままで洗濯機を回してしまったので、カノジョの服を取り返しのつかないほど汚してしまいました。隠し立てせずに謝りました。そういった感じですぐに謝れる関係性は心の安寧には大事です。心理的安全性を抱ける相手はなかなか生涯では出会えませんし、その人を大事にしたほうが良いですよ。
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