Official髭男dismのエスカパレードを聴きながら外病院先に向かいドライブしてます。相思相愛という曲聴きながら、クズ男について考えてます。
川崎鷹也【魔法の絨毯】の歌詞は共感できないはクズ男だと紹介しました。アクセ数も伸びているので共感いただけたと思ってます。研修医同期にも同意頂いた。果たしてこの曲の僕はクズなのか?
自分のことをクズ男と称してから始まる曲はインパクトが大きです。まだどんなクズ男なのかわかりませんが、このあと説明があるんでしょう。自分のことをかなり卑下しているようですが自分のことをクズとわかっている人はまだ大丈夫なんじゃないでしょうか?Pretennderからもわかると思いますが髭男(ヒゲダン)は愚痴る歌が多いです。泣きのブルースって分野になるそうです。愛する異性に対して言い訳+愚痴はブルースの方程式になっていて髭男の十八番とも言えます。
シンプルに振られた僕ですが、長く付き合っていたからか引きずってしまってます。受け入れられていません。シンプルに別れを告げたことは彼女の優しさです。失恋で後悔を残さないためのwell-roundedな考え方入門でも書いたんですが、別れのパターンには自然消滅なんて言葉もあるくらいなんで、ちゃんと終わらせるってお互い次に進むためには重要なイベントだと思います。
僕としたら強い姿勢で別れを告げてほしかったと愚痴をこぼしてます。強く言うのにも結構エネルギーが必要なので、さっぱりとしたお別れにしたのに、僕はそれをずるいと批判してます。
別れを告げられたあとに彼女の部屋にわざと忘れ物をするということは、復縁のチャンスを1回できるかもしれないので、あえてしたんでしょう。このほうがずるいです。きれいな別れ方を望んだ彼女の行動を否定しかねない行為なので、この忘れ物で好転することなんてなさそうです。
この歌詞はめっちゃ共感できます。大学2年生くらいのとき、ぼくと彼女は付き合って1年くらいだったんですが、喧嘩も増えてました。別れさえ決意したときもありました。その都度ごめんなの一言で乗り越えてきました。多くのカップルは謝罪がなく乗り越えられず別れていくのかもしれませんし、生理的にもう無理ってこともあるかもしれません。二人のうち片方だけが寄りを戻せるなんて思っているときにボタンの掛け違いが生まれてしまい未練が生まれてしまうんでしょうね。
よく別れた異性について批判をする人がいますが、最低な行為です。
別れ際って今まで許せていた行為が次々と嫌悪感を抱く理由になっていきます。あれも無理、これも無理って。ですが、一度別れてしまったあとに未練がましく批判を続けるのは、ずるい行為でしょう。
最後にありがとうとさよならを言えた僕は次のステップに足を踏み出しています。
忘れものをわざとしたくらいならばそんなクズな行為だと思えないんですが、どうでしょうか?彼女のうちにわざと忘れ物をするなんて、多分別れた直後しかできないので、いっときの未練が溢れてしまった行為とし受け取れます。この失恋を糧に成長すればいいんじゃないでしょうか?
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